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『ザ・バニシング-消失-』が面白かった

新文芸坐という映画館のオールナイト企画、「異常人間、溌剌(はつらつ)ナイト」に行った。

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あんまり働いてなかった時期にちゃんと映画を観てみるかと思ってとにかく毎日のように映画館に通った時期があった。週末のオールナイト上映にもよく行ってた。新文芸坐のような名画座というジャンルの映画館では 2 本セットで映画が見れるのだが、オールナイトは 4 本も一気に見れるのでお得だ。

いや、お得なのかどうか。たいてい眠気との戦いなのでちゃんと観るという目的にはそぐわない。それでもひと晩かけて観るというイベント感は独特のものだし、異常人間溌剌ナイトと銘打たれた異常な特集を見に来た人 250 人ほどと連れ立って場を共有する高揚感が久々で良かった。

新文芸坐は平日には昭和の日本映画を日替わりで掛けることが多く、客層は圧倒的にシニア層が多いのだが、土曜のオールナイトとなると体力的な面もあり若い層が多い。そういうレンジの広さが好きだ。

今回の 4 本は全部未見で

  • 『ザ・バニシング 消失』
  • 『アングスト 不安』
  • 『アメリカン・サイコ』
  • 『ヒッチャー』

という順番だった。アメリカン・サイコはクリスチャン・ベール主演なので観ている人も多いようだった。

ザ・バニシング

一本目からとても良かった。一本目だから一番集中して観れたというのもある。とにかく構成が秀逸だなと思った。

自分はなるべく前情報を入れずに映画を観たいので、タイトル名すら知らずに観に行くことも多いのだけれど(名画座のチョイスを信頼している)、この映画はキューブリックが 3 回観て「これまで観たすべての映画の中で最も恐ろしい映画だ」と言ったらしい。確かに観終えてみるとそのくらいの後味があった。

恐ろしさとは何か? 単に命が脅かされるところを描くのでは伝わらない。それは人の想像力の中にこそある。この映画はそうした喚起を実に巧みに描いていた。

しかし感想を漁ってみると、そうした触れ込みから観た人がそんなでもない!と憤ってたりもしていた。だからまあやっぱり余計な前知識なしで観たほうがいい。

というわけで特に書けることが無くなってしまうのだが、ざっくり紹介すると…、

「あるカップルが旅行中に女性の方が失踪してしまい、残された男性がその後探し続ける。そうしてやがて犯人の男と接触する。この 3 人のキャラクターが主要人物となる」

特徴的なのは誰が犯人か?という謎解きではなく、犯人側の男も主人公格として最初から登場することだ。

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この映画を観ている最中に自分が連想していた脳内のイメージをマインドマップ的にしてみるとこんな感じだった。後発の日本作品とかとも絡めているので、この映画の制作者的にはまるで知ったこっちゃない関連付けだ。ただ、何かを面白いと言うときは人それぞれで各種テーマを自身の課題や経験、知識に関連付けて解釈しているのだろうと思っている。

たとえばこの犯人役の男のキャラクターはノーカントリーのアントン・シガーのように超越的な存在でもあったし、彼の視点で描かれる行動はまるで犯人たちの事件簿のように人間的でもあった。特に好きだったのは、サイコ・サスペンスと銘打たれてはいるが、オランダからフランスを舞台にしていて、かなり哲学問答に感じられたところだ(フランス映画はキャラクターがよく哲学談義の会話劇をすることが多い)。

犯人との問答では「テラスから飛び降りるとか、普通だったら選ばない方の選択をしてしまう」という心理を語るのだが、これはサイコパスといえばもちろんサイコパスなのだが、劇中のキャラクターが語るのが面白い。作品外から観る我々は造物主側の視点でありキャラクターというのは筋書き通りに動く存在なのだが、それがありえない行動を考えて選択するというのは決定論に逆らって生きる自由意志のようでもある(と同時にそれ自体やはりそういうキャラクターとして決定されているのだが)。こうしたところに今回の異常人間特集の常軌を逸脱しようとする溌剌さを感じていた。見ていてなんだか元気になれるのだ。

バニシングが結局どういう話かというと、いろいろ衝撃的なところはあるのだが、大抵の映画のように冒頭に課題が提示されていると思う。だからこの結末はちゃんとそれが解決に至ったのだと感じている。