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進むべき道はない、だが進まなければならない

アンドレイ・タルコフスキーがそういうことを言っていたよとずいぶん昔に友人から聞いて、出典とかよく知らないけどなんか良いフレーズだなって思っていた。

きっと道が無いんだから道を作ればいいんだろう、と当時は思っていたけれど、どうもそれだけではないなということを感じたりした。

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何の話かと言うとワニ映画だ。

100 日間生きたワニ

なんやかんやで原作連載中の盛り上がりが反転し、オリンピック同様にすっかり「穢れ」のようになってしまった存在だが、映画版についてはいくつか興味を惹かれるところがあったので観に行った。

ワニは 100 日後に死ぬ。

それが決まっているゆえに日常のやり取りの中で語られるささやかな将来への展望は概ね果たされないことを知っている。雲ぶとんのようにギャグにすらなるところもあった(本作で雲ぶは登場しないのだが)。

ワニに進むべき道はない。

でも道がないからといってそこに新しく道が作られることもない。ワニはそこで終わるし、残された人たちは残された人たちなりの道を見つけないといけない。

気になっていたのは

原作ファン向けのニーズに合わせれば、

  • せーの!ワニ泣きー!ってみんなで腕を振り上げてキャイキャイしたり、
  • ネズミくんがワニーッ!!と泣き叫びながらバイクを走らせたり、
  • ワニ、実は生きてた…?(あなたの心の中で)

そうしたいかにもな演出が思いつく。蛇足と言えどもやっぱり多少はそういう分かりやすい目配せをせざるを得ないところがあるんだろうなと思っていた。

でもそうはしなかった。えらい。いやえらいのか分からない。こういうのを誰がどういうプロセスで決定しているのか。映画ともなれば多くのお金と人員が必要になるのだから、監督といえど作家性でやるのは難しい。

本作の監督・脚本が「カメラを止めるな!」の上田監督夫妻であるというのがやはり一番気になったところだった。予算が増えるほど口を出す人関わる人が増え、作家性を維持するのは難しくなる。

原作のきくちゆうき氏が SNS で連載を始めたことと、低予算で自主的な映画を撮るのは似ているし、それが口コミで制御不能なまでの現象としてヒットしたという境遇も似ている。だからそういう座組が作り上げるものを見てみたいなと思った。

アメリカの夜

話は飛ぶのだが、「カメラを止めるな!」で好きだったのは後半の監督が俳優を説得するシーン。なんとなく「アメリカの夜」で監督役のトリュフォーが俳優役のレオーを説得するシーンを思い出していた。

このシーンは劇中でも印象的なところで、ベテラン女優が「家族のように過ごしたメンバーもやがて撮影が終わればパッと消えてしまうという」という語りに続いて、失恋で自暴自棄になってしまった俳優が廊下の奥から現れて一同ギョッとしたところを監督がサッと説得しに行く。

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「ボクたちに幸せはない。あるのは映画の中だけだ」

トリュフォー映画においてジャン・ピエール・レオは監督の分身そのものであり数多くの映画に出ている。それゆえに劇中の監督役、俳優役という文脈を超えて、現実の会話のようにさえ感じられた。

ワニと向き合う

ともあれ、なんとなく穢れてしまった作品にきっと真摯に向き合ってくれるのだろうなと期待していた。連載中は我々も真面目に盛り上がっていたわけだし。

実際に映像を見るとだいぶ好みだったのだが、こういうの苦手な人には開始 10 分でもう退屈になるんだろうなとも思った。前述したようなメジャーなベタさを追求していない。環境音を多用し、BGM は控えめで、紙兎ロペのような身内的なドライなやり取りが進行していく。原作を知らない状態で見たらちょっときついなとも思ったりした。

でも 100 日間の 4 コマを映像としてスムーズに再構成し、盛り上がりも盛り下がりも無いようでいながら、わりとその再構成が目まぐるしく展開するので追いかけるのに必死になるほどだった。

少年と自転車/ネズミとバイク

また話は変わるが、好きな映画の一つに「少年と自転車」という作品がある。

監督のダルデンヌ兄弟は、捨てられた子供が犯罪の道に進んでしまうといったベルギーの社会派映画を撮っているのだが、これは特にアメリカ系映画とは違うヨーロッパ系映画らしさが特徴的で分かりやすい感じなのが良かった(ヨーロッパとひと括りにしてしまうのも雑なところはあるのだが、日米欧韓中露印くらいの分類)。

そのへんは町山智浩氏も解説していて、ハリウッドはストーリーありきでその中でキャラを動かすが、ヨーロッパ映画ではまず現実社会があり、そこに生きる人の人生の断片が描かれる(スライス・オブ・ライフ)。こういう構成には観る人の慣れが必要とも言っていた。ドキュメンタリー的であり、描かれていないシーンを説明するようにはできていないため、観客が想像して繋がないといけない。

で、改めてこの町山氏の解説を見てみると、ワニはまさにこのヨーロッパ系のスライス・オブ・ライフなスタイルの映画志向だなと感じた。

特に少年と自転車においては BGM をほとんど使わないのが印象的だった。劇中でたった 3 回しか BGM は流れない。ポンポさんが 90 分で終わる映画を至上とするように、BGM をここぞというところでしか使わない映画もまた良いのだ。

ワニも分かりやすく強調的に環境音を使っているのだが、BGM はそこまで使わないってほどではなかった。やはり 100 日間をスムーズに再構成するにはけっこう音楽に乗せてドライブさせることも必要なんだなと思った。

余韻

少年と自転車のようなヨーロッパ系映画が好きなのは、余韻の強さにあるなと思う。描かれないシーンを観客に委ねてくれるのだ。作品が直接的に提示するよりも受け手に想像させたほうが余韻になる。

少しネタバレになってしまうが、少年と自転車では主人公は捨て子であり悪い道に進んでしまいそうになりながらも、救いがありだんだん前を向けるようになっていく。しかし終盤でまた大きく傷ついてしまう。そこでどうなるのか、という結末までは描かずに映画は終わる。ただ、少年はまた自転車に乗って前に漕ぎ出していく。

だからきっと大丈夫なのだ。

ワニでは特にネズミのバイクがフィーチャーされるのだが、そのへんも少年と自転車を思い出すところがあった。

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