竜とそばかすの姫:早口感想
観てない人は読まないでください(あんまり本筋のネタバレは無いから読んでもいいかも)。
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毎度こう細田監督の作品って賛否両論なところがあって、今作もまあそういうところあるんだけど、「賛」なところだけなら 5 万点と言いたいくらいであり、単純に絵がすごいってのもあるんだけど、やっぱりテーマとしてぼくらのウォーゲームとか、SUPERFLAT MONOGRAM とか、サマーウォーズとか、一貫してネット世界の問題に立ち向かう人々の物語を描いてきて、そこではネット民と非ネット民、子供と大人、デジタルネイティブとアナログ世代っていう社会の分断があって、それゆえに「ぼくらの」側である我々観客だけが理解できる共感や無理解な世代への眼差しがあったわけだけど、そういうのももはや 20 年の時を経てすっかり世代交代してしまうわけで、今作ではネットはもうほぼ全人類のプラットフォームになっていて今更ネット知らない世代とか出さないのが超正しいなあ~と思って、そのへんの価値観が旧作通りだったら今どきタイムスリップした侍がテレビを見て驚く演出をやり続けてるみたいなシラケに繋がってしまうわけだけど、そこらへんちゃんと感覚がアップデートされてるのが信頼できる感じで、それゆえにフォーカスされる問題というのはこれまでのネット対現実というレイヤーや世代の対立の話では無くなってるのがいいなと思うわけで、「誰しもが現実とネットの両方を抱えて生きていること」というのが新しいポリコレ、コレクトネス~~だと感じてしまって、つまりそこで生じるネットでの悪意や問題をファンタジー寓話にしながらもかなりストレートに描いているところがよくぞやってくれたってけっこう感激してしまって、それってたぶんディズニーやピクサーだとなんかこういうの絶対に描けないんじゃないか、輪郭がボケてしまうんじゃないかって思ってしまって、それはそれでなにかしらポリコレ的な価値観が足を引っ張ってるんじゃないかって想像してしまうところであり、でも現実って(ネットって)もっとグロくてきわどくてコレクトじゃないじゃんっていう感じで、つまりネットが一般化したことによって「ぼくらの」視点はもはや特別なものではなくなり、我々は、少なくとも自分は、主人公側というよりはその他大勢とも同化しやすく、そこから安易に発せられてしまう悪意の発露についてそれが現実と地続きであることをものすごく理解してしまうところであり、昨今の生活において気を払わなければいけないと思うし、気を払うというのは自分ではない他者の視点を抱くことができるある種の余裕がなければそうすることもできないことで、そこにこれまでよりも見えづらい新たな分断が今我々の社会に生じているわけで、いやいやまあそういうの描いてる作品なんて今どきいろいろあるでしょって感じもするんだけど、映像作品のクオリティとしてネット、現実、ファンタジーのミックス具合が極まってるゆえにこれが今描けてるの世界にこれだけでしょっていう唯一無二な感覚になるんではないかという体験性があり、たとえばレディ・プレイヤー 1 なんかだとそもそもゲーム世界だからなんていう分断された感覚がめちゃくちゃに古く感じるところであり、それはサマーウォーズでもそうだけど、でも今作ではもう誰もゲームなんでしょとか野暮なこと言わないわけで、花沢健吾のルサンチマンという作品だと現実を捨てて(アパートに借金の督促とかが溜まってる)ネットに生きるキャラとかすごく真摯に感じるところであり、そのくらいネットは現実であり、現実も現実であるというバランスを 20 年前から描き続けているその正しさが、今の感覚的にそれはエッジな「ぼくらの」ものではなくすっかりマスなものとして成立を果たしたのではないかというのが観ていてとても嬉しく思うところであり、とても力強く、肯定的にネットで生きる我々というのを見せてくれたなあと思う。